城所 祥は板目木版画の作品ではその才能が高く評価された版画家です。力強くも静かさを湛えるその作風は、表現方法が抽象版画から半具象、具象、静物と変化しても一貫して流れています。特にリンゴを題材にした「GREEN APPLES (グリーンアップル)」をはじめとする一連の作品群は、城所の板目木版画を代表する作品の一つです。一見、版画からリンゴが自由奔放に浮遊しているように見えますが、鮮やかな赤い背景が画面に緊張感を与え、リンゴの動きをしっかりと止めています。こうした時間を留める空間の印象は、やがて見る者を静寂の世界へと導きます。
1934年(昭和9年)、城所 祥は東京都八王子市八日町にある家具の製造販売を営む家に生まれます。父親が家業の傍ら趣味で油絵や木版画を制作していたこともあり、幼い頃から美術に親しんだ城所はやがて全くの独学で版画を作り始めます。家業の関係から美術学校には進みませんでしたが、大学卒業の頃には版画家としてすすむことを決心し、25歳で日本版画協会展へ初出品、同年には初個展を開催し27歳で日本版画協会の会員となります。その活動は、国内だけにとどまらずパリ青年ビエンナーレやサンパウロ国際ビエンナーレなどの国際展に出品するなど、次第に幅を広げていきます。
1977年(昭和52年)には木口木版画グループ「鑿の会」を日和崎尊夫、柄澤齊らと結成。戦後ほとんど衰退していた木口木版画の新たな潮流は美術界で注目を集めました。同年には文化庁在外研修員として一年間パリ、スイスに滞在、帰国後翌年には渡米してシカゴで個展を開くなど精力的な活動を続けましたが、1988年(昭和63年)、53歳の若さで惜しくも世を去りました。「50歳で自分を見いだし80歳まで現役で仕事をしたい」と望んでいた城所が新たな作風を見いだした矢先の出来事でした。
城所が亡くなり既に20年ほどが経ちましたが、本展覧会は、その生涯にわたる作品の初の大規模回顧展です。これまであまり目にふれることのなかった初期作品や抽象作品をはじめ約170点を展示し、版画家城所 祥の世界を紹介します。
作者プロフィール
城所 祥(きどころ しょう 1934〜1988年)
城所 祥(きどころ しょう 1934〜1988年)
1934年(昭和9年)、八王子市八日町の家具商「加島屋」に生まれる。早くから美術に興味を持ち、中学時代に木版画を制作しはじめる。
都立立川高校、早稲田大学商学部を卒業、1959年(昭和34年)に養清堂画廊で初の個展を開き、1961年(昭和36年)に日本版画協会会員となる。板目木版を数多く制作し、この頃は抽象的な作品に多く取り組む。また、日本だけでなく数々の国際版画展にも出品し活動の場を広げる。
1970年代前半の作品はりんご・静物などを題材に具象へと移る。1971年(昭和46年)、喜福寺(八王子市中野山王)で木版画襖絵を制作、また雑誌『アルプ』に挿絵を掲載する。
1977年(昭和52年)に木口木版グループ「鑿の会」結成、翌年にかけて文化庁在外研修員として一年間パリ、スイスに滞在、1979年(昭和54年)には渡米しシカゴで個展を開く。
1986年(昭和61年)には日動画廊で木口木版画五人展を開く。1988年(昭和63年)7月22日逝去、享年53歳であった。
生前は武蔵野美術大学、金沢美術工芸大学でも教鞭をとり、また大英博物館、パリ国立図書館、東京国立近代美術館、青梅市立美術館、町田市立国際版画美術館、福岡市立美術館などに作品が収蔵されている。
2003年(平成15年)、八王子市夢美術館開館にあたり作品の大部分が寄贈された。
都立立川高校、早稲田大学商学部を卒業、1959年(昭和34年)に養清堂画廊で初の個展を開き、1961年(昭和36年)に日本版画協会会員となる。板目木版を数多く制作し、この頃は抽象的な作品に多く取り組む。また、日本だけでなく数々の国際版画展にも出品し活動の場を広げる。
1970年代前半の作品はりんご・静物などを題材に具象へと移る。1971年(昭和46年)、喜福寺(八王子市中野山王)で木版画襖絵を制作、また雑誌『アルプ』に挿絵を掲載する。
1977年(昭和52年)に木口木版グループ「鑿の会」結成、翌年にかけて文化庁在外研修員として一年間パリ、スイスに滞在、1979年(昭和54年)には渡米しシカゴで個展を開く。
1986年(昭和61年)には日動画廊で木口木版画五人展を開く。1988年(昭和63年)7月22日逝去、享年53歳であった。
生前は武蔵野美術大学、金沢美術工芸大学でも教鞭をとり、また大英博物館、パリ国立図書館、東京国立近代美術館、青梅市立美術館、町田市立国際版画美術館、福岡市立美術館などに作品が収蔵されている。
2003年(平成15年)、八王子市夢美術館開館にあたり作品の大部分が寄贈された。